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注目の企業に学ぶ(経営者インタビュー):
モトリックス商事株式会社

2020.08

必要なものを、必要とする人のもとへ。それが我々の仕事の価値であり、本質なのです。

モトリックス商事株式会社

中南米諸国の商圏を基盤に、アジアからヨーロッパ、中近東諸国まで、世界各国を走る日本車(全メーカー)の交換用・補修用部品を輸出するモトリックス商事株式会社。それは、交通インフラの未発達な現地の人々の暮らしを守るために、自動車の“医薬品”を届ける仕事。単身、未知なる国で市場を切り拓いてきた梅田勲会長にお話を伺いました。

1.我々の商材が、現地の人々の仕事や生活を支える“足”を守るのです。

当社はエンジンパーツやサスペンションパーツなど、自動車部品の輸出事業を営んでいます。取引先のほとんどは、コロンビアやエクアドル、ペルーにチリ、ボリビアなどの中南米の国々。現地のバイヤー(輸入商・卸売商)のほか、小売チェーン店や大口修理工場、自動車ディーラーなどからの依頼を受けて国内の部品メーカーさまから仕入れ、船便で届けます。

このように購入後の自動車を維持管理するための製品を扱う市場全体を、業界用語でアフターマーケットと呼ぶのですが、大手商社から日本国内で卸売販売をしている会社の貿易部門、数人規模の輸出業者まで、様々な事業者が参入しています。それぞれ各社に特徴があり、当社の場合は「スペイン語圏の国々と、スペイン語で取引していること」と「中南米の“ラテン系”の人々と半世紀にわたって取引してきた実績」を強みとしています。

ビジネス上は英語を用いるドイツやフランスなどと違い、中南米ではスペイン語で押し通そうとされるお客さまが少なくありません。また、国ごとに特殊な制度があったり、政情不安や政変が起こったり、政治面でも経済面でも何が起こるか分からない、ある意味では“輸出業者泣かせ”な商圏です。それだけに、一つの国ではなく「中南米市場全体で取引できる」といえる業者は数えるほどしかなく、80年代以降の日本車の輸出カーブに比例して、売り上げを伸ばすことができました。

中南米の多くの国では、車は一家に一台どころか、一人一台が当たり前です。しかしそれは、決して“裕福”だからではありません。公共交通機関が整備されておらず、文字通り仕事や生活を支える“足”だからです。10年、20年、30年前の中古車を修理しながら走らせ、乗り潰したら次の中古車を購入する。近年、目覚ましい経済発展を遂げてきていますから一概にはいえないのですが、そういう人が多いのです。

そのため私どもの役目は、日本の全メーカー、全車種、全年式に対応できる部品を調達することにあります。当然、取扱商品の種類は膨大です。それと同時に、メーカーサイドの許容範囲であれば、極端にいえば「ボルトを5本、10本」という少ロットのオーダーにも、応えていかなければいけません。以前、一社からの一度の注文で契約書に千を超える品番を列記したこともありました。さらにいえば、書類上は品番で管理しますが、商談の際などに用いられる固有名詞、部品を表す呼称も全てスペイン語でやり取りすることになります。同じスペイン語圏でも国によって呼び方が違ったりしますから、意外と大変なんです(笑)。

そのような特殊性があっても自動車部品の単価は、数円から、高くても数千円の価格帯…。それをビジネスとして成り立たせるために、当社ではいち早くコンピュータを取り入れ、貿易業務を管理する独自のシステムをコンピュータに強い現社長が試行錯誤しながら構築してきました。新しいコトやモノが好きな私の、いうなれば“思いつき”で取り組みを始めたことなのですが、結果的に当社の大きなアドバンテージになっていると思います。

2.今、我々の仕事の価値が、試されているのかもしれません。

現在、世界規模のコロナ禍によって、受注した商品の大半を船に載せられない状態が続いています(6月末現在)。お客さまが、日本のような「要請」ではなく「命令」で自宅から出られない状態であったり、船荷を受け取れなかったりするからです。3月から4月にかけて、お客さまから次々と「出荷しないでくれ」「出荷分のお金も払えない」などと連絡が入り、在庫も売掛金も膨れ上がっていく状況に、最悪の事態も覚悟しました。

十数年前から世界最大規模の国際自動車産業総合見本市「アウトメカニカ(写真はフランクフルト)」に出展。
中南米以外での販路開拓を進めている。

1967年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに降り立つ梅田会長。

しかし「ゼロにはならない」という兆しが見えた段階で、まとまった金額の借り入れをしました。そこで「なんとかなる」と踏ん張れた一番の理由は、注文のキャンセルが一件もなかったこと。そして「やはり中南米の人々にとって自動車部品は、水や電気、食料や医薬品に次ぐ“ライフライン”なのだ」と再認識できたからです。彼らは農産物も工業製品の搬送も、人の移動も車に頼らざるを得ない。部品が入手できなければ、彼らの経済活動が停止してしまいます。お客さまも、今回キャンセルすると次の納期が4、5ヵ月先になることを分かっています。「今は無理だが、必ず買うから」という訴えは、当社にとってもありがたいものでしたし、仕事の意義を改めて感じることにもなったのでした。

少し話がそれますが、私は24歳のとき、当時勤めていた会社の駐在員としてアルゼンチンに赴任しました。羽田からロサンゼルス、サンフランシスコ、メキシコ、グアテマラと、目的地のブエノスアイレスまで、キューバ以外のアメリカ大陸の主要都市をトランク一つ、約4ヵ月かけて回りました。到着して間もない頃、現地の人に私が散髪へ行ったことを話すと「お前、チップを渡したか」と聞かれ、渡していないと答えると「よく首を切られなかったな」と冗談か本気かも分からない口調で諭されました。私は夜学でスペイン語は学んでいたものの、チップのマナーすら知らなかったのです。それからは移動のたびに、飛行機で隣り合わせた人に声をかけ、到着地の文化や習慣、ドルの通貨価値など、必要だと思える基本情報を集めるようにしました。初対面の日本人がいきなり質問攻めにするのですが、嫌な顔をされたことは一切ありません。また、宿泊したホテルで電話帳を借り、自動車関連の広告を出している現地企業に片っ端から営業したときも、ほとんどの人が好意的に「日本から来たセールスマン」を受け入れてくれました。

見知らぬ私になぜ? その理由の一つにはラテン系の人々特有のフレンドリーな気質もありますが、彼らが抱いていた日本人に対するイメージにもあったのではないかと思います。日本は彼らにとって「戦後の復興が著しく、短期間で経済的にも急成長した素晴らしい国」でした。それに加えて、ペルーなどに移住した日本人の勤勉さや誠実さは尊敬の目で見られ、語り継がれていたのです。こうした土壌があったおかげで、現地に日本車は一台も走っていない時代に、私は「メイド・イン・ジャパンの自動車部品(当初はアメリカ車)」の販路を開拓できたのです。

私どもの仕事の本質は「必要なものを、必要とする人のもとへ届ける」ということです。必要なものでなければ、必要とされる人がいなければ、価値はありません。しかし、本当に必要な人にとっては“命をつなぐ部品”にもなりえます。だからこそ常に誠実でなければいけません。その誠実さは、きっと次の時代を生きる人々の“土壌”にもなるはずです。

photo:Hirokazu Yoneda

企業DATA モトリックス商事株式会社

本社 大阪府大阪市西区阿波座2-2-18-2F
取締役会長 梅田 勲
代表取締役社長 梅田 豊
創立 1976年(昭和51年)
事業内容 自動車部品の輸出
Webサイト http://www.motorix.co.jp
取締役会長 梅田 勲 Isao Umeda

1941年、大阪市生まれ。'45年、米軍の空襲により自宅が焼失し、両親の出身地である岐阜県関市に移住。'59年、県立岐阜商業高校貿易科を卒業後、大阪の日商株式会社(現・双日株式会社)に入社。受渡部繊維第二課に所属し、貿易業務に携わる。翌年、大阪外国語大学スペイン語科二部(夜間)に入学。'63年、学業との両立を図りやすい環境を求め、中央自動車工業株式会社貿易部に転職。'67年から'69年まで同社の駐在員としてアルゼンチン・ブエノスアイレスに勤務。中南米各地を歴訪。帰国後は本社貿易部で中南米部門を任される。'76年、モトリックス商事株式会社を設立し、代表取締役に就任。2011年より現職。

代表取締役社長 梅田 豊 Yutaka Umeda

1975年、大阪府豊中市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、株式会社芸文社に入社。コンピュータ関連の入門書等、編集業務に従事する。2004年、モトリックス商事株式会社に入社。本社で船積(ふなづみ/貿易の実務)や海外営業の基礎を学んだ後、約2年間にわたって中南米各地に滞在し、顧客の事務所や倉庫業務に従事しながら現地ビジネスのノウハウを学ぶ。帰国後、引き続き海外営業を担当するとともに経営に参画。2011年、現職に就任。

[出典]頑張る経営者の応援サイト