フカボリインタビュー
人生をかけて、飛び込んだ「堺」という街──森 愛樹、覚悟の挑戦
SNSに「引退」と書き込んでバレーボールから離れた。
完全に競技から離れたつもりで、アルバイトで生計を立てていた日々。
スーパーで働くフリーターを、SVリーグ オールスター出場へと至らせた再起の物語。
森 愛樹選手にお話をうかがいました。

「こんなに勝てないのか」バレーボール選手を引退した過去。

――何度もバレーボールから離れ、引退宣言までしたことがあると聞きました。その時のお話を聞かせてください。
大学を卒業したとき、もう完全にバレーボールからは離れるつもりでいました。この競技が嫌いになっていたわけではありませんでしたが、バレーボールで生活していく未来は、あの頃の僕にとってあまりに現実味がなかったのが正直なところでした。そこで同世代と同じように就職活動をしてみましたが、はっきり言って大失敗。スタートも遅く、働き口をうまく見つけることができず、スーパーでアルバイトを始めることになりました。
「自分は何をしているんだろう」という思いが込み上げてくるのに、そう長くはかかりませんでしたが、だからといって何がしたいという考えも特になかったので、悶々とした日々を送っていたのを覚えています。バレーボールを辞めるという選択に大きな後悔があったわけではないけれど、自分の選択を肯定できるほどの手応えもなかったし、心のどこかで「本当にこれでよかったのか」と自問自答していたのかもしれません。もちろんスーパーで働くということが悪いとも思っていないので、余計に自分は何がしたいのかよくわからなくなっていました。
――そこから再びコートに戻り、ほどなくして引退。何があったのでしょうか。
選手として再出発できたのは、高校の恩師に電話で相談したことがきっかけです。「お前、もう一度だけバレーボールやってみたらどうや」と言われて。その言葉が、妙にスッと自分の中に入ってきたんです。今思えば、誰かに肯定してもらいたかったのかもしれません。「それでいいよ」って背中を押してほしかったんだと思います。迷いはありましたけど、やってみようと決めて、兵庫デルフィーノに入団しました。
1年目はチームの順位も悪くなく、このレベルでも通用するなという感覚はかなりありましたし、自分にも自信がついていきました。もっと上のレベルでやってみたいとすら思うようになって、バレーボールが楽しくなっていくのを感じていました。しかし、2年目のシーズンで、心が折れます。シーズン通算0勝29敗という信じられない結果でした。お恥ずかしい話ですが、この1シーズンですべてが分からなくなりました。「バレーボールでこんなに勝てないことなんてありえるのか?」と信じられない気持ちでいっぱいでしたし、毎週試合に出ては完敗という繰り返しが、自分の熱意を削り取っていくのも感じました。気がつけば自信も喪失して、自分ではチームを勝たせることもできないと思い込んでいました。シーズンが終わる頃「もうバレーボールはいいや」と本気で思い、引退宣言。SNSでもファンの皆さんに引退しますと報告したので「引退宣言」ではなく「(実際に)引退した」のほうが正しかったかもしれません。
仲間がつないでくれた縁、堺で始まった最後の挑戦。

――そこから日本製鉄堺ブレイザーズとの縁が生まれたのは、どのようなきっかけですか?
引退して、何をするわけでもなくフラフラしていたとき、連絡をくれたのが今ブレイザーズでコーチをしている安藤誠弥でした。彼とは同じ高校の出身であったので、「本当にもったいない」「うちに来てほしい」と言って、声をかけてくれたんです。とはいえ、一度は引退した身でしたし、その誘いをどう受け止めたらいいのかもわからず戸惑いました。歯切れの悪い反応の僕に、それでも諦めずに誘ってくれる言葉は、自分の中ではすごく大きくて、僕のことをまだ「プレーヤーとして評価してくれている人がいる」と思ったら、大きく気持ちが揺らぎました。
考えれば考えるほど、デルフィーノの1年目に感じた「もっと上のレベルでやってみたい」という思いが再燃し、誠弥に「挑戦してみたい」と連絡を返していました。そこから彼がチームに僕を強く推薦してくれ、ブレイザーズ入団へと話が進んでいきました。誠弥からは「このチームはみんなまっすぐだから、いい加減なことはしてほしくない」「やるなら、本気でやろう」と言われ、これまでのフラフラしていた自分に決別し、全力で挑むことを決意しました。自分の中で「最後の挑戦」として、腹を括ったことだけは強烈に覚えています。
ブレイザーズに迎えられてから、最初の2ヵ月間は練習生という立場でした。自分では勝手に「挑戦者だ」と思って乗り込んできたものの、想像以上にプレッシャーがあるもので、周りの選手との実力差もすぐに感じましたし、練習についていくことだけで精一杯でした。数ヵ月バレーボールから離れていたこともあり、レシーブした腕がめちゃくちゃ痛かったです。
でも、逃げる気は少しも起きませんでした。勝負だという想いが自分の中には強くありましたし、ここで逃げたら、きっともうバレーボールに戻ってこられない、そんな感覚があったんです。だから、毎日必死でした。技術的なこともですし、体の動かし方、準備の質、練習への姿勢、全部を見直して、喰らいつくような気持ちで取り組みました。「ここで人生を変える」と本気で考えられるようになっていましたね。
最後の挑戦を受け入れてくれた場所こそが「堺」。

――チームのホームタウンである堺に来て、どのような印象でしたか?森選手にとってどういう場所になっていますか?
「受け入れてくれた場所」という言葉が一番しっくりきます。自分のことを誰も知らなかったはずの土地なのに、いつの間にか「ここが自分の居場所だ」と自然と思えるようになりました。
堺は僕の地元ではありませんが、ここに来てから、街で声をかけてもらうことがすごく多いんです。たとえば、よく行くうどん屋さんで、いつも注文をとってくれるスタッフの方がいるんですけど、ある日一人で行ったら「今日は一人なんやね」って。「試合、頑張ってね」って声をかけてくれるんです。試合を見に来てくれているかどうかまでは分からないけれど、選手として認識して、日常の中で応援してくれる。そういう何気ないやり取りが、いつも背中を押してもらっている気持ちになります。自分の中で「最後の挑戦だ」と大きな覚悟を持ってこの土地へ来たので、この街の暖かさは言葉では言い表せないくらい大きいです。
――地域との関係性も強く感じているんですね!
めちゃくちゃ感じます。ただ生活しているだけで「応援してもらえている」と感じることができる。これは、どの地域でもあることじゃないと思います。堺って、ファンの皆さんの年齢層もちょっと広い気がしていて、30代40代くらいの方も多いですし、もっと上の方も結構いる印象なんです。たぶん、昔のブレイザーズを知っている方々も、今また応援に戻ってきてくれているんじゃないでしょうか。そうやって、時代を超えてバレーボールを見守ってくれている人がいる。その空気感に触れたとき、自分もこの土地のバレーボール文化の一部になれたらいいなって、心から思うようになりました。僕が活躍することで、堺にまたバレーボールの熱が戻ってきたら嬉しいですし、街を歩けば「あ、ブレイザーズの選手や!」って言ってもらえる。その声も本当に嬉しい。それに応えたいという気持ちがどんどん強くなっています。
試合会場に来てくれるファンの皆さんの顔も、僕はなるべく覚えようと思って見ているので、前も来てくれていたなと思う方に手を振ったりもします。いつも見てくれている人たちは、僕もいつも見ていたいし、一緒にここでバレーボールを楽しめたらいいなと思うので、みんなこの街の仲間だと思って接しています。本当にありきたりな表現ですが「ファミリー」っていう感じです。
結果を残すことが、堺への恩返しになる。

――そして2年目でチームを代表してオールスター出場。フリーター時代からは、想像もつかない再起ですよね!
本当に想像もつかないですよね!ありがたいことだと思います。
オールスターはめちゃくちゃ刺激も受けて、とてもいい経験になりました。まずうまい人だらけの中でプレーできることが素晴らしいですし、単純に楽しかったっていうのもあるんですけど、それ以上に「自分のファンが増えた」って感じたんですよね。今まではSNSとかでたまに反応があるくらいだったんですけど、オールスター以降は「森選手の試合、今度行きます!」っていうメッセージやコメントが本当に増えて。自分のプレーを目当てに試合会場に足を運んでくれる人がいるっていうのは、選手としてすごく特別なことだと思いますし、その周りの反応を見て新たに自分の中に目標も生まれました。
――それはどのような目標なのでしょうか。
このチームに来たときから、僕は「この堺で勝負する」っていう覚悟を決めていました。だからこそ、応援してくれる人が増えるっていうのは、めちゃくちゃ嬉しいんですよ。だって僕が頑張れば頑張るほど、堺という場所に人が集まってくる。バレーボールが理由で「この街に行ってみよう」って思ってくれる人が増える。それって、何よりも堺という街と、ブレイザーズへの恩返しになるんじゃないかと。僕がプレーする意味になるし、僕を受け入れてくれた堺という街に対して、「森 愛樹」ができる唯一の貢献なんじゃないかと思ったんです。
だからこそ今は、ブレイザーズというチームから、日本代表に名を連ねられるような選手になりたいと思っています。オールスターでもあれだけファンが増えてくれたのだから、日本代表ともなるともっと効果は大きいと思うんです。そうやって日本の期待を背負って活躍する。僕をきっかけに堺に人がもっと集まる。バレーボール一度を引退したあの時から考えると、本当に大きな夢だと思いますが、こんな大それた夢を掲げられるまで僕を育ててくれたチームやこの街に、結果を出すことで「特大の恩返し」としたいんです。
――森選手が「特大の恩返し」を成功させることを期待しています!
今思えば、僕の人生は誰かにこうしてみたら?って言われて「じゃあ、やってみようかな」と進んできただけで、自分から「これがやりたい」「こうなりたい」って強く思って選んできたことって、本当に少なかったんです。高校進学もそう、大学もそう、社会人になってからも。でも、堺に来るって決めたときだけは違いました。これは、自分の意志で、初めて覚悟を持って選んだ道でした。だからこそ、この場所、このチームに対して僕ができることを必死に努力していきたいです。ブレイザーズで日本代表になって、堺を盛り上げることを夢見て、どんなボールにも飛びついて行こうと思います!

日本製鉄堺ブレイザーズ 森 愛樹選手
引退から再起。正確なサーブレシーブでランキングに名を連ねる。