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フカボリインタビュー

視線を上げた先に「広島」があった──高木啓士郎、この街の顔になるために

地元・広島でプロとしてプレーできる喜びは、同時にプレッシャーになった。
注目のルーキーとして取り上げられたことが、結果的に自分への葛藤を生んだという高木選手。期待されるが故に生まれた戸惑いと、自分を奮い立たせたもの。
高木選手の内にある覚悟と希望についてお話をうかがいました。

「とうとうここまで来た」母と一緒に夢見たユニフォーム。

――2024年に広島サンダーズへ入団されました。地元チームからのオファーをどう感じましたか?

まずは正直に「よかった、助かった」と思いましたね。というのも、大学に入った時点で、周りからは「あいつはサンダーズに行くだろう」とずっと言われていて、自分の知らないところで期待が勝手に膨らんでしまっていたんです。

大学時点でサンダーズの練習にも参加していたので、確かに現実味はある状況だったんですが、「もし声がかからなかったらめちゃくちゃ恥ずかしいな」と思っていました。「行けなかったらしい」なんて噂されるのが怖くて(笑)サンダーズから実際に声がかかり、ようやく安心できたという感じです。

――ご家族やご友人も喜ばれたのではないでしょうか。

喜んでもらったと思います!その中でも、入団が決まった瞬間で一番印象に残っているのは、母の反応です。実は、母は昔からのサンダーズファンで、僕がバレーを始める前からファンクラブにも入っていました。そんな母に連れられ、小学校2年生のときに初めてVリーグを観に行ったのがサンダーズの試合でした。「バレー選手ってかっこいいな」と思ったことを今でも覚えています。当時は野球にも興味があって、プロ野球選手になりたいと思っていたんです。だけど、サンダーズの選手たちが緑のユニフォームを着てプレーする姿に目を奪われ、徐々に憧れるようになっていきました。

だからこそ自分がそのチームに入ることになり、母が「とうとうここまで来たね」と言ってくれたときは、本当に嬉しかったです。僕の中でもサンダーズは特別な存在だったけれど、きっと母にとっても、とても意味のある出来事だったんだろうなと感じています。母も姉もバレー経験者だったこともあり、僕の入団は家族にとってかなりビッグニュースだったんじゃないかと思います。

「注目度と現実の落差」を目の当たりにしたスタートだった。

――夢が叶ったプロ生活のスタートには苦悩もあったと聞きました。何があったのでしょうか。

これは初めて口にするかもしれませんが、正直なところ開幕前の時点で、少し苦しくなっていました。
ありがたいことに、地元出身のルーキーとして取材もたくさんしていただいて「期待のルーキー!」と、いろいろな媒体で取り上げてもらっていました。最初はそれが本当に嬉しかったんですが、自分への取材がかなり多く、「また僕!?」と戸惑いを覚えるようになっていきました。

――どんな戸惑いがあったのでしょうか。

自分はここまで注目されるべきでないのではないか、という戸惑いでしょうか。チームの中でも全く力を出せていなかったし、開幕戦には出られないだろうと自分が一番わかっていましたから。サンダーズでは練習の時にAチームとBチームに分けて練習するんですが、僕はAチームで練習したことがそもそもなかったんです。スタメンどころか、ベンチにも入らないかもしれないと自分では思っていました。もちろん悔しさはありましたが、とはいえルーキーですから、腐らずにここから一歩ずつ進んでいこうというくらいのマインドだったんです。

――そこにいろいろな取材が来た。

あの頃は取材を受けるたびに、心の中で「開幕戦は出られないかもしれない」と申し訳なさも感じていました。「プロへの意気込みは?」と聞かれ「スタメンに入ること」と少しボカした答えをすることもありました。不安を隠さないといけないという気持ちと、誰かこの状況に気づいてほしいという気持ちが混ざっていたように思います。

――そして開幕をそのまま迎えた。ベンチ外でのスタートでしたよね?

そうですね。それでもその時は「やっぱりベンチ外か」くらいの感覚でした。でも開幕戦で、そんな自分に対して「なにやってるんだ、僕は」と感じるようになります。

開幕戦は広島開催でしたが、試合会場に友達がたくさん来てくれていたんです。「頑張れよ」とメッセージはもらっていたんですが、まさか会場にまで来てくれるとは思ってもいなくて…観客席に友達の姿を見つけた時、僕はユニフォームすら着ていなかった。アップにもいないし、ベンチにも入ってない。めちゃくちゃ気まずかったです。声をかけに行くどころか、正直なところ目も合わせられなくて。「応援に行ったけど、あいつ出てなかったな」とガッカリさせただろうなと思いました。あの日は本当に情けなくて、悔しくて、帰ってからもしばらく落ち込みました。期待されている自分、結果を出さないといけないタイミング、すべて僕の想像からズレていて「ここまで来て何をやっているんだ、僕は」と、自分自身に腹が立ちました。

広島はとても地元愛が強い街で、チームに地元出身の新人が加入すると、注目されるのも自然なことなんです。僕が入った年に、同じ広島出身でチームを長年支えていた先輩が引退されて、背番号を僕が引き継がせてもらった。だから周囲から「広島の後継者」と見られることもあるし、「広島の代表」と見られることも容易に想像できた。それなのに、開幕時点まで、僕にそれを背負う覚悟が全然足りていなかったんです。本当に自覚が遅かったと思います。

目線を上げた先に「地元・広島」があった。

――そこから今ではスタメンに定着しています。何があったのでしょうか?

ある時、練習場に行くとAチームの中に自分の名前が入っていたんです。連敗が続いていたタイミングで、チームとしても何か変化がほしいタイミングでした。「きた!チャンスだ!」とすぐに思いました。というのも、試合に出られない期間、ずっと外から試合を見ていたので「何がよくないか」はなんとなくわかっていたからです。そしてその改善すべきポイントのひとつに「サーブレシーブ」が入ってるだろうことも予測できていました。

自分の強みはサーブレシーブだと思っているので、Aチームに入った瞬間に「多くのことはできない。サーブレシーブだけに注力しよう。」と決めました。そこからスタメンに起用されるようになり、少しずつ自信がついていきました。たまたまチームに不足していたものが、自分の得意分野だったというだけなんですが、それでもチャンスをしっかり掴めたことは、自分自身にとって貴重な経験になったと思います。

――試合に出るようになって、何か変化はありましたか?

もちろんありました。変な話ですが、試合に出るようになって「地元のチームに入れてよかったな」とより強く感じるようになりました。

最初はスタメンに起用されただけで緊張してしまって、試合会場を見回す余裕なんてなかったんですが、試合に出ることが多くなってくると、ふと顔を上げる余裕が出てきたんです。その時に初めて、観客席に知っている顔がたくさんあることに気づきました。学生時代の恩師、昔からの友達、母の友人…本当にいろんな人が、自分のプレーを観に来てくれていたんです。「え、なんでいるんだ!?」と思いながらも本当に嬉しくて、コートに立てることがより嬉しくなりました。「あ、来てくれてる」と、すぐわかることもあるし、試合後に気づいて「ありがとう」と言うこともあるんですが、下を向いていたころの自分では絶対に気づけませんでした。前向きに挑戦して、コートに立てるようになって本当によかったと思います。

「地元チームに入れてよかった」と思うポイントはもうひとつ、試合が終わってからも、いろんな人が声をかけてくれたことです。ファンの方からはもちろん、僕の場合は知人がかなり多い。「〇〇さんが応援していたぞ」とか「私の友達もファンになったよ」とみんなが教えてくれるんです。こういった出来事があるたびに、一言では言い表せないような、地元だからこその温かい力を感じます。地元チームに入った僕だからこそ味わえるものだと思っています。

みんなに応援してもらうことで、自分がプロになった意味はこういうことなんだと、強く感じられるようになりました。ただ試合に出るだけではなくて、見てくれる人がいて、その人たちの期待や応援を背負ってコートに立っている。広島でこうしてプレーができて本当によかった。ここには、自分を見てくれている人たちが確かにいて、広島出身の自分だからこそ体験させてもらっているものが、たくさんあるなと思います。

「広島の顔になりたい」今度は胸を張ってそう言いたい。

――いま、高木選手が見据えているものは何でしょうか。

最初はただ「地元でプレーできることが嬉しい」という気持ちでしたが、もうそれくらいの気持ちでは足りないと思っています。コートに立つからには、地元の人たちの想いも、自分のプレーに込めていかないとダメだと思うようになりました。「この人たちがいるから、今日も頑張らないと」という気持ちがあり、それを全力で表現したい。

さらに今は「広島を背負っていける選手になりたい。ならないといけない。」という気持ちも芽生えてきました。もちろん簡単なことではないと思います。でも、誰かがやらなきゃいけないことでもある。サンダーズのユニフォームを着て、広島の名前を背負ってコートに立つ。責任は大きいですが、僕が目指すならそれしかないなと。2024-25シーズンの開幕の頃に比べると自分でも驚くほどプレッシャーも楽しめるようになってきたし、もっと重みを感じながらやっていきたいとすら思います。

――たった1シーズンで苦悩を糧に成長したルーキー、ますます期待したくなりますね!

試合にも出させてもらえないルーキーじゃ、大きなことは言えませんでしたが、今は前向きに目標を言葉にできると思います。まずはチームを勝利へ導く。そして日本代表。そうやってひとつずつ目標をクリアして「広島の選手といえば、高木啓士郎」と言ってもらえるようになりたい。ちょっと大それた目標ですが、僕らしく前向きに、僕らしく苦悩しながら、現実にしていきたいと思います。

本記事は2025年4月に実施したインタビューに基づくものです。

広島サンダーズ 高木啓士郎選手

広島サンダーズ 高木啓士郎選手

地元広島で活躍し、広島サンダーズに入団。2025日本代表登録メンバーにも選出。

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