フカボリインタビュー
支え合ってみんなで勝つ、それが私の目指すもの──鴫原ひなたを変えた苦悩の一年
高校卒業後にクインシーズ刈谷へ入団し、若くしてキャプテンを託されるまでに成長した鴫原ひなた選手。
あるシーズンを境に「責任感が大きく変わった」と語る彼女。自分のためから、チームのためへ。何が彼女を大きく変えたのか。
表では語られることの少ない、鴫原選手の「過去最大に苦しかった一年」に迫りました。

迷いながらも、引き受けた「キャプテン」という責任。

――キャプテンに任命された時のことをお聞かせください。
高校を卒業してすぐにクインシーズへ入団し、キャプテンに任命されたのは入団5年目の2023-24シーズンのことでした。任命されてから、今年で3年目(取材当時)になります。
話をもらった時、まず自分を選んでくれたことが嬉しく、それと同時に「私で大丈夫だろうか」という不安も感じました。
ただ、前年に副キャプテンを務め、コートキャプテンとしての経験もありましたし、シーズン後半には当時キャプテンだった藪田美穂子選手が手術のため約3か月間チームを離れることになり、その間、代理を務めていた中でもあったので、「自分の成長にも繋がるんじゃないか」と考えることもできました。迷いはありましたが、頑張りたいなという気持ちが勝り、前向きにキャプテンに挑戦させていただこうと思いました。
自分本位だった私の価値観を変えたのは「今までにない苦しいシーズン」だった。

――元々リーダーシップが強かったから、キャプテンの話がきたというイメージでしょうか。
リーダーシップは全然強くないタイプで、正直なところ、あるシーズンを迎えるまでは、自分のことばかりで周囲に目を向ける余裕もない選手だったと自覚しています。高卒ルーキーで入団して、まわりの先輩方に助けてもらうばかりで、コートでもしょっちゅう涙を流していました。泣き虫でしたね。
自分のことに精一杯で、そんな自分に先輩たちも手を差し伸べてくださって…ただただ目の前のこと、自分のことに必死でした。
――どのようなシーズンが鴫原選手を変えたのでしょうか?
私の責任感を大きく変える転機となったのは、チームがリーグ戦で17連敗したシーズンでした。
そのシーズンは、新人選手が一気に7人も入団し、私自身も大きな変化を感じていました。私が入団したばかりの頃は、自分のことで精一杯でしたが、それに対して、新人選手たちは、プロの世界に入ったばかりにもかかわらず、周囲をよく見て、チーム全体のことを考えて行動している姿勢が本当に素晴らしいと感じました。正直、私が彼女たちと同じ年齢のとき、そこまでの視野の広さや意識の高さはなかった。「すごいな」「自分は何をやってきたんだろう」と強く思いましたし、改めて自分の未熟さを突きつけられ、危機感を感じました。
まだ自分のプレースタイルが安定せず、チームでの立ち位置も確立できていない中、スタメンに入ることができず焦りました。
後輩選手たちがコートの中で戦っているのに、3年目を迎えた私は試合にも出られず、勝利に貢献することもできないという状況が続き、結果的にチームはリーグ戦17連敗を記録。ファンの方も応援してくださっているのに、何をどうやっても勝てないという状況に加えて、自分が勝利へ何も貢献できていないという事実が、どうしようもなくふがいなかったです。自信がどんどん失われていくだけではなく、何のためにバレーをしているのか、自分の存在意義まで見えなくなるような感覚に陥りました。「バレーボール選手として頑張っていこう」と思っていた入団時の気持ちからは一転して「もしかしたら、バレーボールとは違う方向の人生を歩むべきなのかもしれない」と思うこともありました。
それでも純粋に「このチームで勝ちたい」「もっとバレーボールが上手くなりたい」という想いも同時に感じていたので、苦しい中でも「絶対に足を止めず、とにかく前進しよう」と考え、日々を過ごしていました。この頃から「試合に出ていなくてもできることはなんだろう」と考えるようになり、試合に出ていなくてもチームの勝利のために貢献したいという「自分本位ではない想い」が溢れてくるようになりました。
――大きな転機となったのはどのタイミングだったのでしょう?
日々葛藤はしていたものの、明確に転機を感じたのは17連敗のあと、ついに勝利を掴んだ日です。最後の1点を取った瞬間、選手もみんな涙して、会場中のファンのみなさんも一緒に泣いて喜んでくれました。
ボールだけじゃなく、この瞬間に至るまでの想いも諦めずに全員で繋いだことで勝ち取った1勝だと感じました。あの時、自分の中で何かが変わりました。バレーボールは自分だけが楽しむものではない、チームや応援してくださる方々と一緒に戦い、そして喜びを分かち合うものだと、改めて心の底から理解しました。
これまでの苦しい期間にみんなで向き合ったことは、大きな意味を持っていたんだと本当に嬉しく感じましたし、同時にバレーボールというものは勝ち負けだけじゃない感動をみんなで共有できるスポーツだと心から感じることができました。「バレーボールで感動を届けること」を私たちは止めてはいけないという「責任感の成長」も、この「苦しい期間」と「勝利の瞬間」が私にくれたものだと思っています。
それまでの私は、自分自身の成長のために周りの先輩方に頼って、支えてもらうことが当たり前でしたが、この期間と経験がそんな考えを変えてくれたのだと思います。
「チームを勝たせたい」「試合に出られなくても貢献したい」という気持ちに少しずつ変わることができたし、チームのためなら「カッコつける必要なんてない」「先輩でも後輩でも、いくらでもみんなに頼っていいんだ」「とにかくみんなで向き合おう」と考えられるようになったのも大きな変化でした。
私のバレーボール人生はみんなに支えてもらっている。

――その苦しいシーズンが「キャプテン鴫原」に繋がったんですね。
私の責任感を大きく変えたシーズンであることは間違いないと思っています。あのシーズンを経験してから「今私にできることはなんだろう」と考えることが多くなりました。それに伴ってどうやったらもっとバレーボールを楽しめるだろうと考えるようにもなりました。
感動を伝えるために、最後まで諦めない。一人で戦っているんじゃない。関わる人みんなの想いも背負っている。当たり前のことなのかもしれませんが、こういう考えをしっかりと持ちながら、日々練習に励むことができるようになったのも嬉しく思っています。
――「悩みは成長のチャンス」と言えると思いますか?
そう言えたら本当にいいと思います。でも悩みがあるその瞬間に「これはチャンスだ」と思えるほど私は強くないので「どんな悩みも、成長の機会だったと思える日がきっと来る」と考えて、諦めないようにしています。諦めないことで、それまでの苦悩にも意味が生まれるんじゃないかなと思います。
私の場合は、信頼できる人に「少ししんどい」と打ち明け、話しているうちに自分の考えがまとまっていって、なんとなくスッキリすることがあります。相手に解決策を求めているわけではなく、話すことで自分の中に答えが見えてくる感覚です。悩みは色々あるけれど、そうやって少しずつ進めたらいいのかなと思っています。今考えてみると、これまでのバレーボール人生を振り返っても、近くに相談できる人がいてくれたからこそ、やってこられた。もし周りにそうした人たちがいなかったら、きっともっと苦しかっただろうし、私はバレーボールを続けていなかったかもしれません。本当に自分は良き人に恵まれたと思います。
どんな時でも「楽しもう」と言えるキャプテンでありたい。

――これからのキャプテンとしての未来像について教えてください。
私がここまでやってこられたのは、間違いなく寄り添ってくれたチームメイトや、周囲の人たちのおかげ。それはきっとキャプテンになった今も変わらないと思います。
どんな立場の人でもきっと誰かに支えられているはずです。立場が変わると「自分が引っ張らないといけない」と考えて、それが重荷になる人もきっといると思います。でも「頼ることは恥ずかしいことじゃない」と私は思います。
私の両親はいつでも「頑張ってね」ではなく「楽しんでね」と言ってくれました。その言葉を今度は私が「みんなで楽しもうね」に変えて、チームに届けたい。コートの中だけではなく、日常生活から一緒に悩んで、たくさん支え合ってみんなで生きていきたい。そうやってチームで明日の一勝を掴みたい。そしてファンの皆さんに感動を届けたい。今はそんな気持ちでキャプテンという大役に向き合っています。
「ついてこい!」と引っ張るキャプテンもいる、でも私のように「みんな助けて!」と言うキャプテンもいる。チームがひとつになれるなら、いろんなキャプテンの形があっていいんじゃないかと思っています。こんなキャプテン像でもいいんだと思わせてくれたチームへの感謝を忘れずに、前向きにみんなが成長できるチームになれるように、「鴫原ひなた」としてのキャプテンの形を作れたら嬉しいです。
本記事は2025年6月に実施したインタビューに基づくものです。

クインシーズ刈谷 鴫原ひなた選手
古川学園高等学校からクインシーズ刈谷(当時トヨタ車体クインシーズ)へ入団。若くしてキャプテンを務めるチームの中心選手。