フカボリインタビュー
「自分に正直になろう」──澤田由佳、もう一度コートに立つ意味
澤田由佳選手と接すれば、真面目で丁寧な印象を受けるだろう。だが実は人見知りで、「できれば人と話したくないタイプだった」と苦笑いする。
それでもバレーボール選手を職業とする中で「変わりたい」という気持ちが芽生え、自分の思いに向き合い続けてきた。
NECレッドロケッツ川崎(以下レッドロケッツ)で始めた競技生活に一度は区切りをつけ、キャリアの転機を迎えたが、2024-25シーズンに再びコートへ戻ってきた。
澤田選手の抱いてきた思いを、いま紐解きます。
それぞれが自分を表現するチーム。レッドロケッツに入団して抱いた思い
――東北福祉大学を卒業して、2019-20シーズンにNECレッドロケッツ(当時)に入団されました。当時はどのようなキャリアを描いていたのですか?
まず3年はしっかりとやりたいと思っていましたが、入団してからは「1年、1年を頑張ろう」とあまり先を見すぎることなく、目の前のシーズンでいかに自分がチームに貢献するか考えていました。
レッドロケッツは当時も今も、全員がチームのためにできることを考える、そして自分を表現していくことが魅力のチームです。ただ、私はもともと人前で話したり、自分を表現したりすることが苦手で、できることなら避けたいというタイプだったので、最初はついていくだけで精一杯でした。
やがて副キャプテンを任せられ、メンバーに対してチームがまとまるために必要なことや自分の考えをいかに発信していくかが、役割に加わりました。先輩たちの姿から学んで、入団3年目ぐらいにようやく意思表示や感情表現ができるようになっていったと思います。
――そして迎えた4年目の2022-23シーズンにチームをリーグ優勝に導きましたが、同時引退を決断されました。その理由は?
そのシーズンの令和4年度皇后杯 全日本バレーボール選手権大会の準決勝(2022年12月)でベンチまで飛んでいったボールを追いかけた時に、変な腕のつきかたをしてしまったようです。次第に右肩の痛みがひどくなり、そのうち髪にドライヤーをかけようと腕を上げるだけで痛みが走るほどになりました。皇后杯の後もレギュラーシーズンは続くので、注射や痛み止めを使いながら、だましだましプレーを続けていましたが、痛みを抱えたまま次のシーズンをやりきれるのかと考えると不安が募るばかりでした。治療を受けながらチームに残る選択肢もありましたが、自信を持てず、次の2023-24シーズンに向けた面談では正直に自分の想いを伝えました。
最終的に2022-23シーズンはファイナル4(レギュラーシーズン上位4チームによるプレーオフ)の2戦目からスタメンで起用され、「もうやるしかない!!」という強い覚悟で臨みました。東レアローズ(当時)とのファイナルには、すべてを懸けていました。そこで現役生活を終えると決めていたので、優勝してからも続行する考えは出てこなかったです。
現役を引退してスタッフへ。再確認した、チームの魅力
――2022-23シーズンで現役を引退されて、チームのスタッフになりました。就いた役職は「コンシェルジュ」。どんな思いで向き合っていましたか?
初めはチームからコーチを打診されましたが、経験も浅く、正直難しいと思いました。ただ、レッドロケッツが大好きでしたし、選手もスタッフも温かい方々ばかりでしたので、当時GMの中西了将さんや現GMの岡田理恵さんの下で、チームを支えるスタッフになろうと決めました。スタッフとしてチームの良さを伝え、選手の相談にも乗りたいとも考えていました。
「コンシェルジュ」には、「レッドロケッツのことを聞かれたら、何でも答えられる存在」という思いが込められています。実際、シーズン中は来場された方々への対応が主な仕事でした。アウェーゲームでは受付でチケットを渡したり、ときにはグッズ販売もしたり……。元の性格でいえば私は絶対に販売役なんてできないはずなのに(笑)、声を出してグッズをおすすめするなど、少しずつ自分の殻を破っていましたね。
来場された方やクルー(ファンの総称)の皆さんが、「え、由佳がいる-!!」と集まって、声をかけてくださることも多かったです。皆さんの温かさをいっそう実感しました。実は、試合中の音響もやっていたんですよ。岡田さんと一緒に機械を操作して、最初は試合に出るよりも緊張しました。「このボタン、いつ押すの!?」と戸惑っていると、アップゾーンにいる選手たちが「今だよ!!」と合図を送ってくれたこともありました。一緒になって戦っていると感じた場面です。
選手からスタッフへと立場が変わり再確認したのは、レッドロケッツは選手とスタッフ、応援してくださる方々が一体となって戦えるチームだということ。そして選手一人一人は勝利のために、試合に出る出ない関係なく、チームに貢献する思いで常に前を向いています。その姿勢がとても魅力的ですし、もっと発信したいと思っていました。
「自分に正直になろう」。バレーボールが好きだからこそ、一歩を踏みだした
――1シーズンをスタッフとして過ごすなか、2024-25シーズンからコートに戻ることを決められました。現役復帰に至るまでの思いを聞かせてください。
最初は引退した実感がそれほどなく、かといって肩が上がらないので、バレーボールはもうできないかもしれない、とも思っていました。体を動かしたいという意欲も湧かなかったんです。選手時代との違いがあるとすれば、日頃の緊張感です。体が疲れていないので、なかなか眠くならなかった記憶があります。
スタッフとしてのやりがいと充実感を覚えてきた頃に肩の痛みが軽くなって、ふと「バレーボールできるんじゃないか?」と思い立ったのが、2024年の年明けでした。
ではチームに戻るのか、といえば不安も怖さもありました。受け入れてもらえるかも分からなかったですから。それでももう一度、バレーボールやチームの魅力を選手として体現することで伝えたい、という思いが芽生えていました。おそらく、みんなのプレーを外から見て感じたのだと思います。
まずは大学時代の恩師で、チームのOGでもある佐藤伊知子監督に相談し、背中を押してもらいました。その後、GMの中西さんを通して、すぐに金子隆行ヘッドコーチ(当時/現在は女子日本代表コーチ)と直接話をする機会を設けていただきました。もしチームから「要らない」と言われたとしても、受け入れる覚悟を持っていましたが、金子監督は「俺は由佳を断る理由はないから、一緒に頑張ろう」と言ってくださいました。嬉しかったですし、チームのために自分ができることをやろう、という気持ちになりました。
復帰を決意してからは、トレーニングに励みました。平日の通常業務後、18時頃に一人でボールを触ることから始めましたが、初めは軽くジョギングするだけでも息が上がっていましたね(笑)パフォーマンスが戻るか不安はありましたが、自分と向き合ったときに、「自分に正直になろう」という思いがいちばんに強かった。決してバレーボールが嫌いになって辞めたわけではなかったので、バレーボールが大好きな気持ちを行動に移すことができました。
復帰1年目は「自分が成長できるチャンス」とキャプテンに。2年目に臨む今
――復帰を果たした2024-25シーズンはキャプテンにも就任しました。大同生命SVリーグも始まり、さまざまな思いでプレーしていたと想像します。
2024年4月下旬に開かれたクルーフェス(ファン感謝祭)が終わり、金子監督からキャプテンを打診されましたが、一度はきっぱりとお断りしました。プレーの感覚を取り戻すことで手いっぱいになってしまいそうでしたし、チームには素晴らしい選手がたくさんいたからです。ですが、「一度プレーから離れた由佳にしか見えない部分もあるだろうし、それを伝えながらチームの中と外をつなぐ役割をしてほしい」と言っていただき、たくさんの方に相談して、最終的には引き受けました。決め手になったのは、「自分が成長できるチャンスになる」と考えたからです。人前で発言することはまだ苦手でしたが、これをきっかけに変われるとポジティブに捉えることにしました。
シーズンが始まり、勝ったときはもちろん雰囲気もいいですが、負けてしまったときの方が重要で、いかに修正していくか優先順位を付けてメンバーに伝えていました。負けたからダメではなく、たくさんの試合※があるからこそ、後ろを見ずにしっかりと前を向いて進んでいくことが大事です。ときにはチームに自分の意思を伝える難しさもありましたが、副キャプテンの島村春世選手(現・ペッパー貯蓄銀行AIペッパーズ〔韓国〕)や中川つかさ選手と話し合って、「チームとして、これをやっていこう」と打ち出すのはもちろん、ミーティングの仕方自体も工夫をこらしました。2人は試合に立つ時間も長く、コートで感じることも常に私に伝えてくれて、とても助けられました。
※前身のVリーグからSVリーグへ移行後、レギュラーシーズンの試合数は22試合から44試合に増加。
――ご自身にとって“二度目の”現役生活の真っ只中。これからはどんな思いで過ごしていきますか?
2024-25シーズンを振り返ると、個人よりもチームを優先していたと感じます。復帰2シーズン目はまず自分のパフォーマンスをしっかりと上げて、チームを勝たせられる存在になりたい。同じセッターの中川選手が日本代表でも活躍しており、アタッカーを打ちきらせる球の質やトスの丁寧さは見習うところがあるので、学ばせてもらっています。
一度、引退して選手に戻った今、「バレーボールができていることは当たり前ではない」ととても感じます。応援してくださる方々がいるからこそ、自分たちはプレーができている。一緒になって勝つことがいちばんの恩返しになるからこそ、リーグ優勝に向けて頑張りたいです。小学5年生からバレーボールを始めて、キャリアを重ねて今に至りますが、バレーボールはやはり“自分を変えてくれた”もの。自分を表現するのが苦手でしたが、嬉しい時は全力で喜びますし、思ったことはしっかり伝えたい。だんだんとできるようになってきたので、これからもその姿勢を大切にしていきます。
本記事は2025年9月に実施したインタビューに基づくものです。
NECレッドロケッツ川崎 澤田由佳選手
2019年にNECレッドロケッツへ入団し、2022-23シーズンにはV.LEAGUEと皇后杯の二冠に貢献。自身もベスト6を受賞。
一度は引退しスタッフとしてチームを支えたのち、再び現役復帰。2024-25シーズンではキャプテンとしてチームを牽引。