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フカボリインタビュー

家族が、僕を前に進ませてくれた──髙橋健太郎、挫折の先に見えた幸せ

いまや日本のトップミドルブロッカーとして、その名を馳せるジェイテクトSTINGS愛知の髙橋健太郎選手。
日本代表でも中心選手の一人として、2024年にはパリ五輪に出場した。だが、2021年の東京五輪ではメンバー選考から落選し、競技引退を考えるほどのどん底を味わっている。
そのとき支えになったのが妻の存在。家族のために現役生活に身を捧げていると明かす彼の人生観に迫った。

単身赴任で強くなった家族の結びつき

――2021年にご結婚とお子さんの誕生を発表されました。2024-25シーズンのチャンピオンシップファイナルでは、会場で応援されるご家族の姿をSNSに投稿されていましたね。

実を言うと娘は、当時のチームメイトだった宮浦健人選手(ウルフドッグス名古屋)に夢中でした。「ファイナルでのパパはどうだった?」と聞いても、「健人の髪型がよかった」と言っていたほどです。最近は健人ブームも終わりを迎えつつあって、ようやく父親だけを見てくれるようになったかなと思います。「パパ、顔かっこいいじゃん」と、プレーのことはそれほど言ってくれませんが(笑)。

学生時代は、自分が将来バレーボール選手になると想像していませんでした。もともとなりたかった車屋の仕事に就いて、週末はショッピングモールに出かけ子供たちとアイスクリームを食べて過ごす──そんな家庭を築きたいと考えていました。それがまさかアスリートとして海外まで足を伸ばしてプレーし、愛知県で単身赴任するとは…まだ慣れない部分はありますが、この生活を妻も理解してくれていますし、子供たちも幼いながら我慢して理解してくれています。だからこそ、家族と会える一日オフが貴重で、本当に幸せだと感じます。

――日本代表の活動では海外遠征もありますし、家族と過ごされる時間もさらに限られると想像します。

代表活動の期間中も海外遠征でも、それに今も毎日、家族とテレビ電話をつないでいます。僕にとっては素晴らしい時間ですが、子供たちにとっては娯楽を奪われている時間でもあるようで、「早く電話を切ってほしい」という思いが伝わってきて少し寂しいときもあります。とはいえ最近は、父親が海を渡って違う国でバレーボールをしていることを理解しています。時差があるので、日本は明るい時間帯なのに、僕のいる国が夜であったり、その逆もあったりで、子供たちは不思議に思いつつ「頑張っているんだね」と言ってくれるのが嬉しいですね。加えて妻が子供たちに言い聞かせてくれているので、国際大会で結果を残したときには、たとえメダルの価値などは分からずとも、誇らしく思ってくれていると感じます。

失意の東京五輪メンバー落選を乗り越えて

――日本代表でも活躍される中、東京五輪では残念ながら出場を果たせず、悔しい思いをされたと聞きます。あらためて当時を振り返っていただけますか?

後のパリ五輪出場で塗り替えられたので鮮明には思い出せませんが、精神的にもボロボロでどん底にいました。

アスリートはおそらくトライ&エラーの数が圧倒的に多い職業です。目標がなかったら走ることができません。そこに向かって自分を日頃からアピールし、自分の手で結果を残していかなければならない。試合の勝ち負けを伴って評価が下されます。常にプレゼンテーションのようなものです。ところがトライ&エラーを長年続けていると精神がすり減ってきて、やがて感情が湧かなくなってきます。むしろメンタルの起伏に耐えうる状態にしようとすればするほど、最終的に感情が「無」に近いものになります。

ただ僕の場合は、目標としていた東京五輪のメンバーから落選したときに、恐怖に支配されました。バレーボールをすることが、ましてやお客さんやファンの前に姿を見せてプレーすることが怖くなった。

――どうやって乗り越えたのでしょうか?

「家族」という僕が帰る場所がなければ、選手として前に進むことはできなかったと思います。東京五輪が終わった頃に、競技から退くことまで考えました。そんななか、妻が言ってくれたんです。「いま決断するのは時期尚早だと思うし、健太郎はバレーボールで勝負をしているときが一番輝いている。学生時代から10年来、真剣に取り組んできたバレーボールが健太郎にとって本当にやりたいことで、生きる道だと思うよ」と。

最初は妻の言葉も耳には入ってきませんでした。自分が納得しない限り、周りの人の意見を聞けない性分なんです。一方で僕は「たられば」を挙げることも多くて、妻から「あのときやっておけばよかったな、と文句を言っている姿が目に浮かぶ」と言われたときにハッとしました。それこそ次のパリ五輪の開催は決まっていて、その頃の自分は29歳。「パリ五輪を見ながら『自分もここに立てた世界線があったんだよな』って言っている健太郎が絶対にいるよ」という妻の言葉に納得する部分が大きかったです。

それに自分が一番得意としているバレーボールで「落選」という負けを味わったまま次の別のキャリアに進もうとしたときに、その道でも逃げ腰になる自分が出てしまうのではないかという恐怖も芽生えました。ならば、とことん最後まで取り組んで、たとえ結果が出なかったとしても「自分は最後までやりきった」という自信を持って次のステップに踏み込むほうがいいと考えて、現役続行の道を選びました。

妻へのリスペクトと「お互いに頑張る」ための選択

――家族を持ったことで選手生活に起きた変化はありますか?

僕は、妻の「自分にないものを持っている」ところに惹かれました。筑波大学時代に知り合ったのですが、学部も異なりましたし、そもそもバレーボールについてもまったく知りません。最近はルールもわかってきたようですが、それでも熱中して毎回の試合へ応援に駆けつけるタイプではないですし、妻も「バレーボール選手としての髙橋健太郎」に惹かれたわけではないと思います。

妻という、これまで生きてきた世界がまるで異なる人と一緒になったことで、何か決断を下すとき、僕とは違った視点からアドバイスをくれることに感謝しています。選手生活だけでなく、私生活でも同じことが言えます。おかげで僕もいろんな視点から物事を見られるようになり、プロ選手として深みが増していると実感します。

加えて、父親になったことで見える世界が変わりました。それまでは自分の感情だけでいろんな物事を判断していたのですが、家族を守る、子供を育てるとなれば、それではいけないと痛感することも多く、自分自身が大人になったと感じます。

――髙橋選手にとって奥様はどのような存在といえるでしょうか

僕は妻を一人の女性、そして一人の人間としてリスペクトしています。妻には妻の人生があり、夫婦がともに頑張って、お互いに高め合っていける関係でありたいと思い、日々を過ごしています。

実は結婚当初も、僕と妻は別々の勤務地で遠距離生活をしていました。妻が育児休暇に入った2020年頃、僕の勤務地である三島市に引っ越してくれたことで、ようやく結婚生活を実感しました。その頃、パリ五輪を目指して肉体改造に取り組む僕の食事管理を妻が献身的にサポートをしてくれました。怪我をしなくなり、体脂肪率も適切な数値を保ち続けることができています。今の身体があるのは、まぎれもなく妻のおかげです。

一方で妻にも「自分のキャリアを突き詰めて、子供たちに誇れる女性でありたい」という思いがありました。そこで2024-25シーズンに東レアローズ静岡からSTINGS愛知へ移籍するタイミングで、妻へ「仕事にトライしてみたら?」と伝えたんです。彼女の思いを尊重し、応援したかったので、自身の単身赴任を決めました。

2人の娘も妻の姿を見て、どんな境遇でも自分の夢を追いかけることや挑戦することの大切さを感じているはずです。

『パパ、頑張ったね』と褒められる未来を描いて過ごす、この先のキャリア

――家族とともにこれからもバレーボール選手としてのキャリア、そして人生も続くわけですが、どのような将来を描いていますか?

誠実で謙虚な人間でありたいです。一般的には30歳はまだまだ若い方ですが、バレーボール選手としてのキャリアは終盤に差し掛かっています。けれども、いつまでも謙虚に、決しておごりたかぶるような人間にはなりたくないです。そうなってしまえば、人間としても成長が止まってしまいますから。そして何より家族を大事にしていきたい。妻と子供だけでなく、夫婦それぞれの両親も含めてです。子供たちがその姿に触れることで、家族や周りの人たちを大切にすることを覚えながら大人になってくれると信じています。残り少ないバレーボール人生の一日一日と家族を大切にしながら、キャリアの最後を迎えたいです。その頃にはきっと子供たちも小学生くらいにはなっていると思うので、「パパ、頑張ったね」と褒められるような競技人生を送っていけたらと願っています。

――それぞれで人生観も異なると思いますが、もし後輩の選手から「結婚はどうですか?」と相談されたら、何と答えますか?

結婚には良いときも悪いときもあると思っているので、なかなか諸手を上げて「結婚しなよ」とは言えません。

ですが僕の場合は常日頃から家族に支えられていると実感していますし、子供が産まれたことで大人として、さらにはバレーボール選手としても成長できました。私生活の改善も含めて、よりいっそう地に足をつけた競技人生を送れていると感じているので、アスリートは早く結婚した方が良いと僕は思っています。

本記事は2025年12月に実施したインタビューに基づくものです。

ジェイテクトSTINGS愛知 髙橋健太郎選手

ジェイテクトSTINGS愛知 髙橋健太郎選手

日本代表としてパリ五輪を戦い抜き、2024年に東レアローズからジェイテクトSTINGS愛知へ電撃移籍。
世界を相手に磨き上げたブロック技術と、闘志を前面に押し出す圧倒的な存在感でチームの勝利に貢献する。

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