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フカボリインタビュー

19歳の決断、その先に──ヴォレアス・張育陞(チャン・ユーシェン)、旭川で見つけた自分の居場所

台湾から19歳で来日し、雪国・旭川に飛び込んだ張育陞(チャン・ユーシェン)選手。言葉の壁や文化の違い、そして入れ替え戦の悔しさ――。
彼を支えたのは、人の温かさと、ホームと呼べる環境でした。
張選手はいかにして異国の地で居場所を見つけ、北の大地で愛される存在になっていったのか。その軌跡をたどります。

旭川で見つけた最初の手ごたえ

――まずはご自身のキャリアから振り返ってください。

バレーボールを本格的に始めたのは12歳です。当時から身長が比較的高く、学校の先生に誘われたことがきっかけでした。その頃の目標は台湾代表に入ること。2019年にその夢が叶ったときはとても嬉しかったです。
ヴォレアス北海道からオファーが来たのもその頃です。私は高校を卒業したばかりの19歳で、台湾のチーム(台電男排)でのプレーも1年に満たないほどでした。目立った成績を残していたわけでもなく、国内でも有名な選手ではありませんでしたから、正直驚きました。台電男排時代にヴォレアスとの交流試合があり、その時に初めて日本に来ました。ヴォレアスはやさしい方ばかりで、活動している環境もとても素晴らしかったので、ここでプレーしたいと思いました。

――母国を飛び出し、プロ選手として活動することに不安はありませんでしたか?

あの頃、台湾から海外のリーグでプレーする選手はほとんどいませんでしたから、不安な気持ちも少しはありました。自分以外に日本で活動していたのは陳建禎選手ぐらいで、彼はほんとうに勇気を持って挑戦したチャレンジャーだと感じます。

初めて公式戦のコートに立ったとき、「いよいよ自分はプロ選手になったんだ」と強く実感しました。とにかく緊張していましたし、パフォーマンスはそれほどよくなかったことを覚えています。それでも何度もチャンスをもらい、徐々に自信を持ってプレーができるようになりました。正直なことを言えば、19歳の私は「もっとたくさん試合に出たい」「もっとたくさんアタックが打ちたい」という欲や焦りがあったと思います。ですがエド・クライン監督から「落ち着いて、我慢強く取り組むこと。少しずつ成長を続ければ、いずれいいプレーができるようになる」というアドバイスをもらい、精神的にも成長することができました。

――日本のチームで活動する上で、どのような思いで語学の勉強に励んできたのでしょうか?

コミュニケーションができなければチームの一員として活動できないし、一つのチームにもなれないと私は考えています。
だからこそ来日してから3年間は、練習以外の時間にひたすら日本語を勉強し、日本語の資格も取りました。勉強自体は好きではありません(笑)。それでも人生において必要なことであれば頑張れます。日本語力が上がり会話が増えることで、チームメイトとの関係が良くなってきたと感じることができました。そして、勉強を続ける上で、チームメイトの支えも大きな力になりました。日本語は台湾語と違い漢字に加えてカタカナ、ひらがながありますが、いちばんの違いは敬語です。台湾語には敬語がありません。敬語を使わなければならないシーンでは苦労しましたが、6シーズンをともに過ごした戸田拓也選手(現・千葉ドット)が先生になってくれました。彼には本当に助けられました。

陳建禎(ちん・けんてい):2017年に来日し、2017-18シーズンのヴォレアス入団以降、パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)やJTサンダーズ広島(現・広島サンダーズ)でプレーした

入れ替え戦で何度も敗れるも諦めず。その背景にあったサポーターの存在

――入団時のヴォレアスはV.LEAGUE DIVISION2(国内2部)。DIVISION1昇格を目指しながらも、入れ替え戦で敗れるシーズンが続きました。前を向けた理由はどこにあったのでしょうか。

このチームで昇格したい、その思いがヴォレアス入団を決めた理由でしたから、何度も負けてしまったときはほんとうに悔しかったですし、すぐに切り替えられるものではありませんでした。でも、「これを糧に成長すれば必ず次のシーズンこそは達成できる」という想いも同時に感じていました。一人のバレーボール選手としても、この壁は絶対に乗り越えたいと強く思っていました。だから諦めるという選択肢は持っていませんでした。

それにサポーターの皆さんは結果を問わず、常に私たちのことを応援してくれています。入れ替え戦で負けたときも、「惜しかった」「残念だったね」と優しい言葉をかけてくれて、救われました。外国籍選手の私に対しても、旭川の皆さんはいつも力を与えてくれます。ホームゲームは、言葉のとおり「ホーム=家」のような温かくも力強い安心感に包まれてプレーができます。市内でも声をかけてもらうことも増え、とても嬉しいです。だからこそ、応援してくれる皆さんに素晴らしい試合をお見せすることが、私たちバレーボール選手にとって最も大事なことだと思います。いいプレーをたくさんすることで、サポーターの皆さんの期待に応えられる。そう考えて、私は常に前を向いてコートに立っています。

私が来日した時と比べると、今のヴォレアスはまるで異なるチームへ成長を遂げたと感じています。それにともなって、旭川市とのつながりもより強くなったと思います。今では旭川空港にチームの展示ブースがありますし、街中にはポスターもたくさん貼られています。その光景を見ると心から嬉しく感じます。

日本でプレーするからこそ成長したもの、そして天皇杯での躍進

――日本で長らくプレーしていることで、ご自身のキャリアにもたらされたものは何でしょう?

かつての私はアタックだけが強みの選手だったと思います。ですが日本のバレーボールに長く触れることで、アタック以外の面が伸びました。
サーブにブロック、ディグ、それにサーブレシーブとあらゆるプレーを成長させることができています。特にサーブに関してはDIVISION2で2度のサーブ賞を獲得できたとはいえ、その頃はただ全力で打つだけのイメージでした。

ですが、大同生命SVリーグには素晴らしいレシーバーがたくさんいますから、パワーだけでは通用しません。ときにはコースを狙うなど、違う種類のサーブが必要になってきます。
SVリーグで戦っていると、自分に足りないものに毎日のように直面します。けれども、それを知ることでさらに成長できるとも感じているので、これまで以上に努力できています。自分自身のプレーレベルをもっともっと引き上げたいです。

――その熱い想いが結果につながり「令和7年度天皇杯 全日本バレーボール選手権大会」では準優勝に輝きました。

天皇杯では結果にフォーカスするのではなく、目の前の試合を楽しむことをチーム全員が大事にできていたので、それがよかったのだと思っています。
ミスが出て雰囲気が沈みそうなときも、みんなで「いい顔をするんだ」と声を掛け合っていましたし、ミスが続いたとしてもお互いに顔を合わせて、冗談をまじえながら次のプレーに向かうことができていました。
準優勝という成績はチームの自信につながりましたし、同時に、どんな時も前向きで明るい雰囲気を作ることができるという「ヴォレアスの強み」を実感しながら戦う機会にもなりました。

変わりつつある役割、そして「架け橋」としての存在へ

――いまの自分の役割をどのように考えていますか?

現在、私はチームの在籍歴が最も長い選手です。
コート上で仲間の力になれるように頑張る気持ちはずっと変わりませんが、先輩になった分、周りの選手や後輩たちにとってストレスがかからないような雰囲気や関係性を築くことが大事だと考えて行動しています。
来日した当初は、トップカテゴリー昇格を目指してひたすら励んできました。その目標が達成されてから3シーズン目を迎え、この仲間と次はどのレベルまで到達できるかワクワクしながら日々を過ごしています。体が万全な状態をキープし続けて、できる限り日本のトップカテゴリーでプレーしたいと思っています。目の前の試合に全力を注いで、みんなで悔いが残らないように頑張っていきたいです。

――台湾出身選手が日本でプレーする流れができてきた印象です。張選手の活躍が台湾と日本の「架け橋」になっているんじゃないでしょうか。

その道を切り開いたのは陳選手だと思っています。2024-25シーズンにヴォレアスでチームメイトになりましたが、経験豊富な彼がコートに立つとチームメイトが安心する存在でした。陳選手の活躍があったからこそ今の流れがあると思いますし、彼の功績は大きいと思います。
そして、今の流れをさらに大きくしているのは、私以外の台湾出身選手の活躍も大きいと思います。日本製鉄堺ブレイザーズの蔡沛彰選手は母校の後輩ですが、彼も攻守両面において非常にレベルの高い選手です。先輩として彼に負けたくない思いがあると同時に、日本で一緒に活躍していることを嬉しくも思っていますが、彼の活躍も台湾出身選手への注目を強くする要因であると私は思っています。

台湾やアジア圏の他のリーグとSVリーグはスケールもプレーレベルもまったく違います。
この違いを是非とも台湾の選手たちに一度は味わってほしいですし、日本でプレーするチャンスがあれば必ず挑戦してもらいたいです。

陳選手のような「張がいるから大丈夫だ」とコート上で周りに安心感を与える存在を目指して、私はこれからも頑張ります。

蔡沛彰(つぁい・ぺいちゃん):2024年に来日し、日本製鉄堺ブレイザーズに入団。決定力の高いアタックが武器のミドルブロッカーで、在籍2年目となる2025-26シーズンも主力としてプレー

ヴォレアス北海道 張育陞選手

ヴォレアス北海道 張育陞選手

台湾出身。 12歳からバレーボールを始め、2019年には台湾代表としてアジア選手権に出場。
同年にヴォレアス北海道に加入し、強力なサーブやスパイクを武器にチームの得点源として活躍している。
2020-21シーズンにはチームを準優勝に導き、自身も敢闘賞とサーブ賞を受賞。

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