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フカボリインタビュー

スーパーポジティブはつくれる!──アランマーレ山形 大元朱菜の「挫折の乗り越え方」

2025-26シーズンは大同生命SVリーグのオールスターメンバーにも選出された大元朱菜選手。
トライアウトでヴィクトリーナ姫路へ入団、戦力外通告から育成チームへの転籍という挫折を味わう。その後はモンゴルへ渡るなど、波乱万丈といえるキャリアを進んできた。
一度や二度ではなかった苦難の連続で何度も折れかけた心を、彼女はどう繋ぎ止めてきたのか。その笑顔の奥に秘められた、真の強さに触れる。

スーパーポジティブな自分に、意図的に「キャラ変」した

――ご自身もチームメイトも「大元朱菜=スーパーポジティブ」と形容されています。それは元から備わっていたものなのでしょうか。

元々は決してポジティブなタイプではなかったと思います。
学生時代はそれほど強豪校で過ごしたわけではなかったので、チーム内で活躍するチャンスも多く「私しか打つ選手はいないでしょ」と、少し調子に乗っていた部分がありました。ですが、大学に進学してすぐに挫折。実力は通用せず、4年生までレギュラーにもなれませんでした。自分の実力不足に対して落ち込むあまり、立ち直り方もわからなかった記憶があります。

4年生でレギュラーになれたことで自信がつき、勢いそのままにヴィクトリーナ姫路のトライアウトに挑戦。なんとか合格はしましたが、入団してからも技術面や精神面…あらゆることでたくさん怒られました。初めは怒られることに対しても、抵抗感があり、まったく素直になれませんでした。しかし「このままではプロの世界ではやっていけないんじゃないか」と考えるようになり、キャラクターが変わるくらい進化しなければ、と考えるようになりました。そこでまずは「私はスーパーポジティブ」と口に出すことから始めてみたんです。

――自らキャラクターを変えにいったのですね!抵抗はなかったのでしょうか。

抵抗がなかったわけではありませんが、「人は意外と自分のことを見ていない」ということに気づき、そこからスイッチが入りましたね。

ヴィクトリーナ姫路に入団して2、3年目の頃です。ちょうどコロナ禍で、チームメイトとリモートでトレーニングを行っていた際に、なんだかチームが暗い空気になっている気がしたので、勇気を出して「がんばろうぜ!負けずにいこうぜ!」と声を張り上げてみました。すると、思った以上に周りが喜んでくれたんです。いきなりキャラクターを変えた感じがあったので、みんな驚くのではないかと少し恥ずかしい気持ちもあったのですが、どう思われるかを気にしているのは自分だけで、いざ自分が覚悟を決めた立ち居振る舞いをすれば、周りはスムーズにそれを受け入れてくれるのだなと実感しました。

その経験から「ポジティブなことは発信したほうがいい」という感覚が自分の中で芽生え、気づけばポジティブなキャラクターが浸透していました。

自分と向き合うことで見つけた「自己プロデュース」。その発想が人生を変えてくれた

――「スーパーポジティブ」になったからこそ、ご自身にもたらされた変化はありましたか?

私自身は前向きなマインドに拍車がかかりました。例えば、プレーに関してできなかったことがあると、以前は落ち込み、嫌な気持ちになっていましたが、今では「この経験のおかげで、また新しいことができるようになる」というマインドで取り組めています。それでも自分のミスにフォーカスしてしまう場面はありますが、「次にミスをしたらどうしよう」といった不安を引きずってプレーに精彩を欠くようなことはなくなってきました。

自分から「私はポジティブ」と公言することは、とても意味があると私は思っています。周囲がその見方をしてくれるだけではなく、その肩書きがあることによって、自分自身もいっそう前向きに振る舞えると感じています。それはある種の「自己暗示」であり「自己プロデュース」です。このキャラクターのおかげでバレーボール選手としてのキャリアも数年は延びたと思いますし、今ではこのマインドが私の基盤になっています。

――ネガティブになってしまうことはないのでしょうか。

意識的にポジティブに「見せている」部分はまだ少なからずあるので、周りから「どうして今日はそんなことでくよくよしているの?」と言われてしまうことはたまにあります。(笑)
でもそこまで多くはありません。ポジティブを意識してからは「何を気にしているんだ」と自分自身に喝を入れて、頭を切り替えられるようになってきました。

とにかく進み続けた苦難の連続、海外挑戦を戦い抜いたのは「それでもバレーボールがしたかった」から

――キャリアの大きな転機となった、ヴィクトリーナ姫路からの退団。その裏にはどのような葛藤があったのでしょうか。

2022-23シーズンは、ヴィクトリーナ姫路でレギュラーとしてプレーすることができていました。
ところが戦績はふるわず、最終的には入れ替え戦で敗れてしまい、チームは降格が決まりました。その結果、チームから「契約満了」つまり「戦力外通告」を受けました。どうしても入りたかったトップカテゴリーだったので、ショックは相当大きいものでした。しかし、同時にチームから傘下の育成チーム(当時)「ヴィアーレ兵庫」への移籍を提示されたので「もう一度チャレンジできる!」と考え、迷わず契約を結びました。企業に勤務しながら選手として活動を続けるという形態でしたが、バレーボールを続けられるならなんだっていいと思っていたので、手段は選びませんでした。

それでも競技から離れて企業で働く時間が増えてくると「もっとバレーボールがしたい」と強く思うようになりました。自分自身がとてもバレーボールが好きだということにも気づき、そこからは「このままでいいのか」という熱い気持ちが再燃しました。そうして少しずつ、その熱い気持ちを抑えられなくなっていき、最終的には退団を決意。そして、海外へ挑戦することに決めました。

――そこから2024-25シーズンはモンゴルリーグへ渡ったというわけですね。

実はエージェントを介して、スロベニアの2部リーグのチームと交渉がまとまりかけていました。しかし、必要な書類の手配に時間を要しているうちに「待てない」と白紙になってしまったんです。ようやく入団先が決まったと思った途端に、またゼロからのスタート。このときばかりはショックが大きく、さすがに泣きました。(笑)自分が「スーパーポジティブ」になってから、感情を抑えられないレベルで気持ちが下がったのはこのときだけです。

とはいえ、バレーボール選手として職がない状況で、何もしないわけにもいきません。せめて自分にできることをやろうと考えて、日々トレーニングに励むことにしました。前向きに、前向きにと、自分自身に言い聞かせてはいましたが、正直なところ半ば諦めていたような気がします。

そんな時、知り合いから「モンゴルのチームが日本人選手を探しているよ」と聞き「これはチャンスだ!」とチームにアプローチをしました。リーグ開幕を直前に控えたタイミングにも関わらず、契約が決まりました。とても嬉しかった反面、チームが決まるまでに時間が空いていたため、パフォーマンスはかなり落ちていました。「これ以上、パフォーマンスが上がらないのであれば帰国してほしい」と言われてしまうほどです。そこからはもう、人生でも一番だと思えるほど「死に物狂い」でバレーボールに取り組みました。振り返れば、プロのバレーボール選手としての覚悟や忍耐を強く意識した出来事だったように思います。決して楽な日々ではありませんでしたが、それでもバレーボールがしたいという思いで毎日必死に戦っていました。

想像以上の未来が舞い込む、それがスーパーポジティブの力

――その後、2025-26シーズンに向けては韓国リーグへ挑戦しますが、(外国籍選手が参戦するための)ドラフトではあえなく落選という結果になりました。その現実をどのように受け止めましたか?

モンゴルと比べると韓国のリーグはレベルも上がり、ドラフトにかからなかったときはとても悔しかったです。でも、モンゴルを経験したあとだったこともあり、私のメンタルはより鍛えられていたようで、心が折れるほど落ち込むということはなかったです。ドラフトの結果に対しても、数日経つ頃には「こういうこともあるよね」と受け止めることができていましたし、「学びや自分の成長につなげよう」という思考がうまく働いてくれたような気もします。

日本に帰国してからはトレーニングジムに通い、いろんなチームに頭を下げて練習に参加させてもらうという日々が始まりました。本当に苦難だらけのキャリアだと自分でも思いますが「目の前のことに一生懸命に取り組めば、おのずと道は拓ける」という一心で過ごしていました。そんな中、アランマーレ山形からお話をいただきました。まさか日本で、それもSVリーグでプレーするなんて思ってもなかったので、正直かなり驚きましたし、飛び上がるほど嬉しかった。毎日負けずに頑張っていれば、未来の方から私の元へやってきてくれる。私の人生はこの幸運の連続なのだと心から思いました。

――この先のキャリアも幸運は舞い込みそうですか?

私は、どちらかといえば「キャリアをあえて描きたくない」という考えが強いです。それは、私の人生は本当に想像もつかないことの連続で、ただひたすらに努力し続けている中に、自分が思ってもみなかった未来が待っていたというケースばかりだからです。今年1月のオールスターゲームに出場したことは、まさにそのうちのひとつ。ただひたすらに前向きに進み続け、現役選手であり続けたからこそ、私はあの場所に行けた。感動的な体験でしたし、これからももっと頑張ろうと思える大きなモチベーションにつながりました。これこそ「スーパーポジティブ」が私にくれた幸運な未来だと思っていますし、この先もきっと想像以上の未来が待っていると確信しています。

苦しいときや勝負の場面で、前を向くのはとても難しいですが、そんな時こそ「スーパーポジティブ」を思い出してほしいです。苦難も楽しみながら受け止めることができれば、それは絶対に「想像以上の未来」につながります。
私自身はバレーボール選手として順風満帆なキャリアではないと思っています。だからこそ、私の生き方を見て、頑張ろうと思ってくれる方々がきっとたくさんいるはずです。私がもっともっと頑張ることによって、誰かの力になれたなら、どんな私の挫折も「誰かのポジティブ」につながっていくかもしれない。そんな風に「スーパーポジティブ」をみなさんに届けられる選手になれれば嬉しいなと思っています。

本記事は2026年3月に実施したインタビューに基づくものです。

アランマーレ山形 大元 朱菜選手

アランマーレ山形 大元 朱菜選手

天理大学で実力を磨き、卒業後は国内外で経験を重ねる。
2025年にアランマーレ山形へ加入し、粘り強さと安定感のあるプレーでチームを支えるミドルブロッカーとして活躍。

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