揺れるアイデンティティの先に──KUROBEアクアフェアリーズ 富山奥原花が見つけた“燃える理由” | 大同生命 SV.LEAGUE応援サイト | 大同生命
このページの本文へ移動
さあ、保険の新次元へ。T&D保険グループ

フカボリインタビュー

揺れるアイデンティティの先に──KUROBEアクアフェアリーズ富山 奥原花が見つけた“燃える理由”

日本人の両親を持ち、アメリカで生まれ育ったKUROBEアクアフェアリーズ富山の奥原花選手。
アメリカの大学を卒業後、プロ選手として東欧アルバニアのリーグでのプレーを経て、自身のルーツである日本に辿り着きました。
文化も人柄もまるで異なる環境で、ときに苦しみ、悩みながらも突き進んできた道のり。
その歩みと、奥原選手を突き動かし続ける「魂の火」に迫ります。

カリフォルニアでの原体験と、揺れるアイデンティティ

――日本人の両親を持ちながら、アメリカで生まれ育つ中で、ご自身のバックグラウンドやアイデンティティについてどのように感じていましたか?

もともと結構シャイな性格だったと思います。自分から声をかけるタイプではなく、勝手に他人と壁を作ってしまうこともしばしばありました。そんな私に対し、若い頃からアメリカで過ごしてきた強気な両親は「自分から伝えないと相手にはわからない!どんどん伝えていきなさい!」とずっと声をかけてくれていました。でも私にはそれがなかなか難しく、シャイな性格のまま成長していきました。

アメリカ人になりたい、と思っていた時期もありました。友達がみんな青い目でブロンドの子たちばかりだったので「いつになったら自分の髪もブロンドになるんだろう」と本気で思っていましたし、自分はそうならないとわかった時は驚いたくらいです。自分自身が周りと違うことに悩みました。小学校や中学校の頃には、母が作ってくれたお弁当を学校へ持っていくのが恥ずかしくて「サンドイッチを持っていきたい!」と喧嘩したこともありましたね。(笑)

けれど日本語学校に週1回、9年間通い、日本という国について知るうちに、少しずつ自分のルーツである日本を愛せるようになっていきました。そして、高校生になる頃には自分のルーツを誇りに思えるようになっていましたし、今では日本食が一番好きです。

手探りのプロキャリア・アルバニアでの試練と日本への決意

――大学卒業後、なぜ最初のプロキャリアをアルバニアでスタートさせたのですか?

本当はフランスやドイツなど、ヨーロッパの世界的にレベルの高いリーグを狙っていました。でもヨーロッパでは、私はセッターとして背が低い方ですし、大学時代はセッターが2人体制で、後衛の選手が常にトスを上げるという特殊なプレーシステムだったので、その関係もあって、なかなかオファーがありませんでした。

そんな時、大学時代のコーチとの縁で、アルバニアのあるチームから声がかかり「これはチャンスかもしれない」と挑戦を決めました。正直、アルバニアがどんな国かも知りませんでしたが、契約の2週間後にはもう現地にいました。あまりに早い展開で、目まぐるしいスタートでした。(笑)でも、新しい環境で人間関係をゼロから築くのは、自分にとって良いチャレンジになるというワクワク感もありました。

――全く知らない異国の地で、コミュニケーションの壁にはどう立ち向かいましたか?

言葉が通じない中での挑戦でしたから、プレーも噛み合わないことが多く、何もかもうまくいかない状況で毎日悩んでいました。

しかし、ここが異国の地であろうとも、プロとして契約している以上、加入初年度から結果を出す覚悟で臨んでいました。だからこそ、落ち込むや怒るというリアクションではなく、自分から積極的にコミュニケーションを取りにいくという能動的なアクションを選びました。

まずは、アパートをシェアしていたアルバニアのチームメイトをコーヒーに誘いました。バレーボール以外の場面から距離を縮め、信頼を勝ち取ろうと思ったからです。そして、練習でもトスのコンビについて「今のどうだった?」とチームメイトたちにしつこいほど確認しました。初めは周りも戸惑っていたようにも感じますが、結果的にチームワークは非常に良くなり、プレーの質が格段にあがったことを覚えています。振り返れば、大学もいろんな人たちと関わらなければいけない場所でしたから、プロのアスリートとして活動する前から、コミュニケーション自体は私の中で優先順位がとても高かったと思います。

例えば、大学ではチームメイトにポーランド、フランス、オランダと多様なバックグラウンドを持つ選手がいて、それぞれ性格も考え方も根本的に違っていました。そういう環境だったので、納得がいかないことや、違うと感じたことは伝えるようにしていましたし、相手に「それはできない」と言われた場合は、こちらがすべて受け入れるのではなく「それで構わない。だったら私はこう動くから、それでいい?」といった具合にお互いに良い着地点を見つけるようにしていました。コミュニケーションを大事にするという意識は、幼少期にアメリカで日本人として過ごしたことで生まれたものかもしれません。

――そこから日本のリーグへ進んだ経緯を教えてください。

アメリカでバレーボールを始めたときから日本のリーグを配信で見ていました。日本のバレーボールはとてもスピーディーで、本当に魅力的だと思っていました。大学時代に一度来日して、日本の大学と試合を行ったことがあるのですが、そのときに改めて「私が憧れる日本のバレーボールはこれだ」と感じて、ずっと日本でプレーしたいという思いを残していました。

アルバニアで1年プレーしたのち、アルバニアのチームの退団が決定。なかなか次のチームが決まらず悩んでいました。両親に現状を相談してみると「この際、日本のチームにアピールをしてみようか」という話になりました。両親もとても協力的で、徹夜で一緒にハイライトビデオを作ってくれて、日本の全チームに直接メールを送って自分を売り込みました。その結果、SAGA久光スプリングスから連絡があり、オンラインで面談をしてもらいました。その面談をした瞬間に、ビビッときたと言いますか、ここしかないという思いが湧いてきて、入団を決めました。SAGA久光スプリングスは環境も素晴らしく、選手個々の意識やプレーレベルがとても高かったので、ここに適応できれば選手として成長できると感じました。

「私という人間が消えていく」正解が見えない環境での葛藤と救い

――念願の日本のリーグでしたが、合流後の1年目はどのような時間でしたか?

環境やレベルは申し分ないものの、日本での挑戦は本当につらくて、厳しい1年目でした。というのもアメリカやアルバニアでは、言わないと伝わらないのが当たり前でしたが、日本には、察するという真逆のコミュニケーションスタイルがある。常に正解がわからず、言わなくていいことを言ってしまったり、逆に言うべきタイミングでは黙ってしまったり、これでいいんだろうかと常に自問自答していました。

そのうちにどんどん縮こまってしまって、自分の良さをどう出せばいいかわからなくなり、まるで「私という人間が消えていく」ような感覚までありました。自分らしさを失った状態で、技術面でも足りないことに直面する日々。徐々に自信を失いながらも、日本の緻密なバレーに合わせるために、トスワークをゼロから変えることにも挑戦しました。何もうまくいかない状況の中、毎日泣きながら練習していました。

――その苦しい状況をどうやって乗り越えたのでしょうか。

当時のチームメイトだった長岡望悠選手の言葉がきっかけです。パニックになっていた私に、彼女は親身に相談に乗ってくれて、「まずはカオスを解消しよう」と言ってくれました。

「一度に全部を完璧にするのは無理だよ。ひとつずつにしよう。今日はコミュニケーションだけ。今日はこのプレーだけ。1つか2つの課題に絞って集中すれば、あなたなら解決できる」とアドバイスをもらいました。その教えを毎日繰り返すうちに、本当に嘘のように頭がスッキリし始めて、少しずつ広い視野を持って練習に取り組めるようになったんです。

頭がクリアになると、プレーの質も急激に向上しました。コミュニケーションについて考えた結果、プレーにおいては自分らしさを出さないと生きていけないと吹っ切ることもできたので、感情のままに激しい表情を出すようにしました。コート上ではそれが、恐竜と表現されるほどでした。(笑)1年目の終わり頃には自分の成長が見えてきて、もう1年日本でやりたい、ここでスキルを磨ききりたいと強いモチベーションを保てるようになっていました。

――現在はKUROBEアクアフェアリーズ富山でプレーされています。手応えはどうですか?

2月のPFUブルーキャッツ石川かほく戦で初めてスターティングメンバーとして試合に出場した時、みんなで盛り上がり、支え合って勝ちに行くという感覚をチーム全体で共有できたと感じる瞬間がありました。「私がアメリカにいた時から求めていたバレーボールはこれだ。それを日本で実行できているんだ!」と強く実感し、とても嬉しくなりました。

この試合をきっかけに、その瞬間をもっと味わいたい、チームを勝たせたいという思いがさらに強くなり、今まで以上にコート上でしっかりと私らしさを表現するようになったかなと思います。

「魂に火を灯し続ける」自分を奮い立たせるための問い

――モチベーションが下がって「らしさ」を出せない時、どうやって自分を奮い立たせていますか?

元々シャイですし、モチベーションが下がる時は結構あります。なので、どんなに辛くても「なぜ今ここにいるのか、私は何をしたいのか」を自分に問いかけるようにしています。「これで終わりにしていいの?」「本当にこれで私はハッピーなの?」と自分に語りかけるイメージです。自分の中に高いスタンダードを作り、心が弱った時こそ自分で盛り返すことを大切にしています。

私の座右の銘に「Seek what sets your soul on fire(=魂に火をつけるものを探せ)」という言葉があります。私は大学時代にこの言葉に出会ってから、毎日「何に向かって挑戦しているのか」「チャレンジして、自分の人生を歩めているか」を考えながら生きるようになりました。苦手なことや嫌なことに直面して立ち止まってしまいそうなときは、この言葉を思い出して、自分の魂に火を灯して乗り越えるようにしています。バレーボールだけでなく、人生そのものに対しても使える言葉だと感じています。

――これからの目標について教えてください。

このまま日本でスタメンとして活躍し続け、チームを勝たせる選手になりたいですね。そして、日本で学んだ細かい技術を自分のものにして、いつかまた海外の舞台でも活躍したいという目標もあります。その大きな目標があるからこそ、今この瞬間を頑張れる。私の「魂の火」はずっと灯ったままです。これからも、自分らしく情熱を燃やし続けて、強く進んでいきたいと思います。

本記事は2026年3月に実施したインタビューに基づくものです。

KUROBEアクアフェアリーズ富山 奥原 花選手

KUROBEアクアフェアリーズ富山 奥原 花選手

KUROBEアクアフェアリーズ富山では、持ち味である粘り強いレシーブと選手それぞれに合わせた丁寧なトスでチームを支える重要な存在。
海外リーグでの経験も活かし、勝利に向けて貢献し続けている。

前の記事へ