フカボリインタビュー
家族のために、挑み続ける――東レアローズ静岡 新貴裕の覚悟
会社員として仕事に励みながら、バレーボール選手として活動を続けてきた新 貴裕選手。
生活や家族を大切にしてきた彼が、プロ選手という激動の生活を選んだ理由は何だったのか。
そこには幾度もの転機で重ねてきた決断があり、そして人生を変えた妻の言葉があった。「家族を守るための挑戦」と口にする新選手の覚悟に迫ります。
大学卒業後は国内2部リーグの富士通でプレー
――元々、大学を卒業後はどのようなキャリアを描いていましたか?
一度はサラリーマンを経験したいと考えていました。会社員として働きながらバレーボールをして、いずれは地元に帰って社業に専念する、というイメージを抱いていましたね。そんな思いもあって、会社に勤めながらバレーボール選手としても活動するという形態で(当時は国内2部相当の)富士通カワサキレッドスピリッツに所属させていただくことになりました。
勤務形態はフルタイム。時期によっては残業で練習に参加できないこともありました。仕事で怒られることもありましたが、これも経験だと捉えて社業と向き合っていましたので、不満は特になかったですね。
当時のバレーボールへの感覚はストレス発散に近いと思います。練習は週2回、仕事終わりに集まって2時間だけ。試合がない時は休日も練習していましたが、そのくらいの濃度だったので、バレーボールの練習を楽しみに仕事を頑張るというモチベーションでした。
――楽しんでバレーボールに触れているような印象ですが、なぜチームを離れることになったのでしょうか。
2017-18シーズンには2部リーグで優勝できましたし、自身も最高殊勲選手賞(優勝チームの中で最も活躍し、勝利に貢献した選手1名に贈られる)をいただきました。毎年成長している実感もあり、有意義な時間を過ごせていたことは間違いありません。
しかし、社業においても、年齢を重ねるにつれて、会社から任せてもらえる仕事が増えたため、自分の中でどんどん「バレーボール選手」の部分が少なくなっていく感覚がありました。
少しずつバレーボールに対するモチベーションが下がり、社業のボリュームが生活の中で多くなっていく。そんな状況になったからこそ「自分はもっとバレーボールを頑張りたいんじゃなかったのか」と考えるようになりました。28歳というタイミングで、このままバレーボールから少しずつ離れていく人生か、それともバレーボールに力を注ぐ人生かを天秤にかけた結果「バレーボールをもっと頑張りたい」という思いが上回りました。そうして、移籍という選択肢を考え始めたというわけです。
家族を持ったことで芽生えた「長くプレーし続けたい」という思い
――移籍という決断はもちろんのこと、新卒で入社した会社を離れることに不安はありませんでしたか?
自分のキャリアにおいて前向きな決断だと思っていましたが、移籍先が決まっていなかったので、不安は確かにありました。自分は、まずは会社を辞めてから次の所属先を探そうと思って動いていたので、一時的にはどこにも所属していない人間になるのは確実でしたし、もしすぐにチームが見つからなければ、トライアウトを受けて練習生としてでもいいのでトップカテゴリーのチームに参加したいと思っていました。初めての挑戦だったので、当然不安や緊張感はありました。
ただ、なんとかなるという自信も少なからずありました。富士通では入団した1年目からレギュラーとして試合に出場し、当時のチームメイトから「勝つセッターとはお前のことだ」と言っていただいていました。実際にリーグ優勝や最高殊勲選手賞といった結果を手にしたことで、自分の強みを再確認できましたし、それらが自信につながっていたとも思います。
――トップカテゴリーであるパナソニックパンサーズ(当時/現在の大阪ブルテオン)への入団が決まります。どんな思いで新天地に臨みましたか?
移籍は決まりましたが、今回も社員選手という立場でした。プロ選手になりたいというわけではなく「バレーボールにもっと打ち込みたい」という考えだったので、その希望が叶うと思いパナソニックに入団を決めました。同じポジションの選手が多かったので、チーム内競争が激しいだろうなと感じていましたが、「やってやるんだ!」という思いで入団しました。プレッシャーよりは気合と覚悟の方が強かったので、常に前向きに取り組めたと思います。
パナソニックでは試合の出場機会にも恵まれ、絶対に負けられない試合で自分がスタメンに起用されたことも強く記憶に残っています。チームは常勝軍団でしたから、戦いのステージが上がるにつれてプレッシャーもどんどん強くなりました。しかし、そのプレッシャーに打ち勝たないと優勝はできないですし、「ワクワクする気持ち」はずっと強かったです。その刺激的なバレーボール生活こそが、自分が新天地で望んでいたものでした。
常勝軍団でプレーさせてもらったことで、自分のバレーボールへの飢えはある程度満たされました。
控えの立場が続くことも多くなり、「ここで引退して社業に専念する」という未来も自然に受け入れかけていました。
しかし、結婚して守らなければいけない家族が増えたことをきっかけに、その未来に違和感を持ち始めました。「子供達の記憶に残るまで、できる限り長くバレーボールを続けたい」という思いや、ほぼ毎試合応援に足を運んでくれた両親に「もっと長く元気にプレーしている姿を見せたい」という気持ちが芽生えてきて「まだ引退したくない」という思いをはっきりと自覚するようになりました。
とはいえ、シーズンを重ねるごとに同じポジションの選手が新たに入団してくるので、社員選手の自分はそのたびに「次は自分が引退する番か」とドキドキしていたのが正直な気持ちです。
「プロに転向する」という決断。予想外だったのは妻の反応
――そうして2024-25シーズンに東レ静岡へレンタル移籍を果たします。
控えの立場は続いていましたが、なんとか引退せずに戦い続けているうちに「競技人生を終えるなら試合に出て最後は散りたい」と強く思うようになりました。すると、照らし合わせたようなタイミングで、チームから「(東レアローズ静岡から)移籍の話がきている。どうするかは自分で決断すればいい」と言われたので、移籍を真剣に検討することにしました。
――完全移籍ではなく「レンタル移籍」というかたちを選んだのはどうしてですか?
パナソニックでは、社業に専念するというセカンドキャリアも思い描いていたため、突然「プロになる」というのは、やはり大きな不安がありました。家族の生活を守るためにも、東レ静岡に移籍してもパナソニックの社員としての立場は継続されている「レンタル移籍」を選びました。
私の妻は実業団のアスリート経験者なので、第一線で競技を続けることの厳しさや、社員であることのメリットなどは身を持って知っていました。結婚前に「社員でなければ結婚しない」とまで釘を刺されていたんです。(笑)プロ選手になれば自身のパフォーマンスや試合結果に生活が左右されるため「その不安があるなかで生活はしたくない」とも言われていたので、自分にとって「社員を継続する」というのは、妻の思いも受け止めた上で大きなポイントのひとつでした。
――東レ静岡で1シーズンを過ごしたのちプロ契約選手として完全移籍しました。プロ転向に奥様は反対されなかったのですか?
絶対にダメと言われると思っていました。自分自身、家族がいる以上、社員という立場のほうがいいと考えていましたし、妻も同じ考えだったはずです。
ただ、2024-25シーズンを終えて「大阪ブルテオンに戻るか」「レンタル移籍をもう1年延長するか」「完全移籍するか」という3つの選択肢を前にした際に、レンタル移籍という「戻る場所が保証されている」環境でバレーボールを続けると、どうしても「やってやるんだ!」という覚悟が甘くなってしまって「長くバレーボールをプレーして、その姿を家族に見せたい」という目的が達成されないのではないかと思いました。さらに、2025-26シーズンは、大阪ブルテオンに世界トップクラスのセッターが加入すると聞いていたので、復帰したとしても、控え選手になる未来が濃厚でした。レンタル移籍の延長、大阪ブルテオンへの復帰、そのどちらも自分が望む未来にはつながらない選択肢のように思えました。
1ヵ月ほど悩みましたが、妻に相談すると「40歳まで選手を続けることを目標にしてみない?」と言ってくれました。「40歳」という目標を掲げてみると、物事の見え方がガラリと変わりました。大阪ブルテオンに所属し、40歳まで控えで居続けられるほどこのリーグは甘くない。自分の向かうべき方向に、多くの選択肢はないということが分かりました。
悩んだ末に「プロ選手になりたい」と妻に伝えました。40歳まで第一線で戦えるような選手ならば、バレーボールを通して家族を守ることもできると考えたからです。
妻は反対するどころか「いいんじゃない」と、すぐにうなずいてくれました。「社員でなければ結婚しない」とまで言っていたのに、今回の決断に対しては誰よりもポジティブに捉えていて驚きました。妻は僕が悩んでいるときも、心を見透かしているかのように「何を言っているの、頑張りな」とポジティブな言葉をかけてくれますし、僕が道を間違えないようにいつもサポートしてくれているのだと、改めて感じることができました。
そして、社業で家族を守るという選択肢ではなく、プロバレーボール選手として家族を守るという新たな未来を選び、完全移籍・プロ転向を決めました。
次は「プロ選手」として家族の生活を守るために挑戦し続ける
――いざプロ選手として最初のシーズンを完走しました、どのような心境でしょう。
パフォーマンス次第では契約を切られる可能性もありますし、その次の所属先が決まらなければ実質「引退」となるわけですから、正直、プロ転向は不安でした。しかしこの一年がむしゃらに走り切った今、もう不安はありません。まだまだ40歳までプレーできると信じています。この歳(34歳)で社員選手からプロに転向する選手は多くいませんし、大きなチャレンジだったと思います。けれど、いざプロの立場になると「もう少し早くなっておけばよかった」なんてことも思いますね。(笑)何より現役生活を過ごして、今がとても楽しいと感じることができているのが心から嬉しいです。
――プロ選手になった今、ご自身にとってバレーボールとはどんなものでしょうか。
収入を得る手段であることは確かですが、どちらかというと「家族のためにプロバレーボール選手としてプレーしている」と思っています。子供達は、毎試合応援にきてくれて「かっこいい」と言ってくれます。その言葉が嬉しいですし、頑張っている姿を見せたい一心で、プロバレーボール選手としての活動と向き合っています。
やはり「家族を守らなければいけない」という思いはとても強いですが、自分のための挑戦も同じように大切だということを忘れてはいけないと思います。新しいことに挑戦した先に得られる達成感は必ずありますし、同時に「家族のためにもっと頑張ろう」という気持ちもさらに強くなります。その気持ちの強さがバレーボールに打ち込む力となり、家族を守ることにつながるため、「家族を守るために自分自身の挑戦を諦めない」という選択肢もあるのだと思います。自分も家族のために、この先も様々な挑戦をしていきますが、同世代の挑戦を迷っている皆さんも「大切なものを守るため」に挑戦を選んでくれたら嬉しいなと思います。
本記事は2026年4月に実施したインタビューに基づくものです。
東レアローズ静岡 新 貴裕選手
2017-18シーズンには最高殊勲選手賞を獲得し、日本代表登録の経験も持つ実績十分の攻撃型セッター。
ツーアタックや攻めのサーブで自らも貪欲に得点を狙いながら、強豪チームで培われた勝負強さでチームを勝利へと導く。