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大同生命保険所蔵文書の研究・公表

当社には、創立時に中核をなし、発展の礎を築いた大坂の豪商「加島屋(広岡家)」より伝わる文書をはじめとする約2,500点の歴史的文書が保存されています。
2012年に、当社は創業110周年を迎え、その記念事業の一環として、当社文書を国立大学法人大阪大学経済学研究科に寄託、同校および研究者により文書を解読する研究プロジェクトを発足いたしました。 ここでは、同プロジェクトによる研究結果について概略をご紹介いたします。

江戸幕府の経済政策と加島屋

神戸大学 経済経営研究所 高槻 泰郎 准教授

江戸時代の経済の基準は「米」であり、幕府は米市場(米価格)の安定化に向けた数々の政策を行っていますが、これまで「大坂の両替商は幕府とは一線を引いていた」といわれてきました。
しかし、当社所蔵の「御用日記(ごようにっき)」「御用金二十万両之控(ごようきんにじゅうまんりょうのひかえ)」には、米市場統制に関する幕府と加島屋等の両替商のやりとりが克明に記録されており、米市場の信用維持に向けた両替商の役割や幕府が両替商の資金力と知識を頼りにしている様子が明らかになりました。
とりわけ堂島米会所に投資資金を供給する入替両替(いれかえりょうがえ)の機能が初めて具体的に解明されました。

御用日記

御用日記

幕府は、米切手(米取引を行う際の証券)の信用力が大きく低下した際、加島屋に公的資金を低利で貸し付け、信用力の低い米切手を担保に融資を行わせようとしました。しかし、加島屋は、いざという場合に幕府が公的資金によって回収すると「宣言」するだけで十分として幕府の要請を拒絶しました。
結果として幕府は、加島屋の主張どおりの政策を実施しており、両替商の政策面での影響力が明らかになりました。

御用金二十万両之控

御用金二十万両之控

1810年(文化7年)、加島屋は米の買い支え資金として幕府から20万両の御用金(赤字財政を補填するために民間から行う借入のこと)拠出を要求されましたが、そのためには諸大名への貸付金の回収や新規の貸付を制限せざるをえず、大名の資金繰り改善のための政策としては本末転倒と主張、幕府の譲歩を引き出し、金額を2万6,200両まで引き下げました。それでも加島屋の拠出金額は鴻池屋とならんで筆頭であり、幕府から政策面に加え、資金面でも大きな信頼を寄せられていました。

近代日本におけるCSR活動 -広岡恵三の経営理念-

秀明大学 総合経営学部 結城 武延 講師
(現・東北大学経済学部・大学院経済学研究科 准教授)

当社所蔵の文書には、大同生命の創業[1902年(明治35年)]から戦後[1949年(昭和24年)]までの40年以上にわたる通常・臨時株主総会議事録が含まれていますが、これほどの長期間にわたって保存されていることは非常に稀であり、極めて貴重な史料といえます。
この史料から、明治以降、急速に株式会社が発展する中で、当時の経営者(第2代社長 広岡恵三)が、現代の経済学において研究されつつある、CSRをはじめとする企業統治の問題(株主だけでなく会社の利害関係者すべての利益を尊重する経営)にどのように対処していたのかが明らかになりました。

株主総会議事録

株主総会議事録

経営者自身が大株主であった当時の大同生命の株主総会の会議時間は、株主がほとんど意見を述べていないにもかかわらず、所有と経営の分離が進行した他の株式会社と同程度かそれ以上の時間をかけて議論されていました。
これは、大同生命の2代目社長の広岡恵三が、株主総会を経営者として説明責任を果たし、企業の実情・理念を共有する場と考えていたことによるものであり、現代のCSRで「情報開示」と「説明責任」などが重視されていることにも共通しているといえます。
また、恵三は「加入者本位」の経営理念のもと、加入者(契約者)最優先の経営を行いますが、同時に安定的な株主配当、従業員・代理店への利益分配などにも配慮しており、「あらゆるステークホルダーの利益を考える経営」が当時より実践されていたことがわかりました。